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研究内容RESEARCH

人工赤血球(人工酸素運搬体)の創製と臨床応用

 日本の献血-輸血システムの安全性は世界最高水準にあり、国民の医療と健康福祉に多大の貢献をしています。しかし、感染の可能性や、保存期限が3週間と短く災害や有事の危機管理体制に不安を残しています。また、患者さんの血液型を確認する作業があり緊急時の対応に課題があります。少子高齢化により血液の需給バランスが崩れつつあることも事実です。人工赤血球は、これらの問題を改善する新しい製剤としてその実現が期待されています。人工赤血球の研究は、期限切れ血液に最も多く含まれるヘモグロビン(Hb)の有効利用の観点から政策的に始まった経緯があります。期限切れ赤血球は、私たちが開発した精製/製造工程を経て、感染源を含まず、血液型が無く、長期保存に耐え、輸血治療を「補完」する人工赤血球製剤に「再生」されます。また、輸血では対応の出来ない疾患や外科的処置、Unmet Medical Needsへの対応も期待さています。本研究室では、日本発の革新的医薬品として人工赤血球の早期実用化を目指すことを目的とし、厚生労働科学研究費補助金、文科省科学研究費補助金、日本医療研究開発機構(AMED)委託研究費を受けて研究を進めています(研究代表者:酒井宏水)。また、本研究に派生する新しい研究(化学を基礎に、医学に貢献する研究)も開始する予定です。





人工赤血球の調製法の確立(高分子化学を基礎とした展開)
 Hb小胞体は、高濃度Hb溶液を脂質二分子層膜で被覆した、粒子径約250nmの分子集合体です(図参照)。分子集合体とは、分子間相互作用の働きで分子が自発的に集合形成した構造体のことを意味します。私たちは、高分子化学を基礎とし、早稲田大学酸素輸液プロジェクト(代表:故 土田英俊 早大名誉教授), 早稲田バイオサイエンスシンガポール研究所(所長: 石渡信一 早大理工教授)において、効率の高いHb精製法と高濃度Hbを脂質二分子膜で被覆する方法を確立しました。ウィルス不活化・除去は、Hbを一酸化炭素結合体(HbCO)とし、60℃の加熱処理とナノフィルトレーションを併用して完了させます。最終段階で光照射励起を利用したリガンド交換反応により、酸素結合体(HbO2)に容易に変換できます。Allosteric因子を共封入させて酸素親和度を制御します。ポリエチレングリコール(PEG)を結合した脂質を粒子表面に配置して小胞体粒子間の凝集抑制と分散安定度の向上を達成、さらに脱酸素化によりHbVが溶液のまま室温にて2年以上備蓄できることを確認しました。また、metHb(Fe3+)の非酵素的還元法を構築したほか、品質管理(無菌化)に必要なLPS検出LAL法も、LPSの両親媒性に起因する阻害作用を回避できる改良法を確立しました。これらの成果は、人工赤血球製造の根幹技術となっています。高いHb濃度、生体適合性、長期保存安定度は、他者の追随を許していません。
   

左の写真:人工赤血球(左)と、高純度・高濃度ヘモグロビン溶液(右)
右の写真:無菌操作を行う、クリーンルーム内の様子  

人工赤血球の輸血代替としての酸素輸送効果と安全性の実証
 自作の人工赤血球の生体内における酸素運搬機能な安全性を実証するため、国内外の医学系、薬学系の研究者と共同研究を進めています。特に1996年から2年間、カリフォルニア大学サンディエゴ校バイオエンジニアリング部門 (指導教授:Marcos Intaglietta)に学振海外研究員として留学した際に、人工赤血球を投与した後の微小循環動態の計測(顕微鏡視野での局所O2濃度, 微小血管径と血流速度の計測)を重ね、動物投与試験と生体計測について学び、これを機に、各種モデル動物を用いた投与実験と生体計測を推進しています。循環血液量の90%超過の交換(ラット)では、血圧、血液ガス組成、組織酸素分圧も正常値を推移しました(慶應義塾大学医学部 小林紘一 教授との共同)。微小循環動態観測では、修飾Hbの投与では血管内皮由来のNO捕捉による抵抗血管の収縮と同時に顕著な血圧亢進が観察されますが、Hb小胞体では血管収縮も血圧亢進もありません。出血性ショックの蘇生液としての投与では循環動態も血液ガス組成も脱血液の投与と同等に推移して全例が生存し、十分な酸素運搬機能が実証されました。体外循環、脳梗塞、皮弁創傷治癒、担がんモデルでも効能を確認しています。最近では、一酸化炭素(CO)ガスの運搬体として、抗炎症作用を示すことがわかってきました。Hb小胞体は最終的に脾・肝など細網内皮系に移行し、貪食細胞に捕捉されたHb小胞体が7日以内に分解消失、また脾臓は一過性に肥大するものの7日で正常に戻り、血液生化学検査も異常を認めず、老化赤血球と同様の代謝経路をとるものと考えられました。反復投与試験としてラットにHb小胞体を14日間投与し、循環血液量の実に2.5倍もの量を投与しても体重は増加し続け、血液生化学的、組織病理学的検討でも顕著な副作用が無く、Hb小胞体の速やかな代謝を確認しました。造血細胞との共培養、脳内出血モデルの結果なども総合し、安全性の高い製剤であり、実用化を目指す研究を進めています(共同研究先一覧を参照)。得られた研究成果のほとんどは、学術誌に公表しています。


わが国における人工血液の研究
 1997年から厚生科学研究費補助金(高度先端医療研究事業)として「人工血液」の研究が推進されるようになり、現在に至っています。また、わが国では薬害問題や阪神淡路大震災の経験から、血液製剤の安定供給を目指す方針が掲げられ、2002年 改正薬事法:衆議院厚生労働委員会決議 (医薬品・医療機器の安全対策推進に関する件)には、「五. 人工血液についてはその有効性及び安全性が確保されたものの製品化が促進されるよう、研究開発の促進をはかること。」が記載され、国策として推進されるようになりました。他方、血液成分(赤血球、血小板、白血球、抗体、血漿蛋白など)の代替物の物性、製造、動物試験の方法や成績評価、臨床試験に向けたガイドラインやプロトコール,成績評価などの研究や討議をする学会として,1993年に日本血液代替物学会が設立されました。

実は既に1980年代、日本赤十字社が「期限切れ赤血球の有効利用」の観点から人工赤血球(修飾Hbなど)の開発を開始した経緯があります。現在では供給体制の整備(集約化)で、統計上は期限切れが減少しており(2010年: 41,148単位)、人工赤血球の原料が減少していると言えます。期限切れは潜在的にもっとあると言われており、医療機関で発生する期限切れ赤血球すべてを、一カ所に効率よく回収するシステムの構築が必要と考えます。また、採血量過不足、不規則抗体の献血液や、ALT検査不合格の献血液なども多くあると言われております。ヘモグロビン精製工程では徹底したウィルス不活化/除去工程を採用していますが、「特定生物由来製品」としての人工赤血球は輸血より安全なのか、未知の感染源の可能性は無いのか、遡及調査の必要性などを検討する必要もあります。他方、組換えヘモグロビンを使用すれば、原料の問題は克服できます。事実、米国では、B社が組換えヘモグロビン(変異型)を開発しました。遺伝子組換えヘモグロビン小胞体の調製は技術的には可能です。しかしそれでも「生物由来製品」に分類されると考えられ、厳重な管理が必要です。また、人工赤血球は現行の献血輸血システムを「補完」するものであり、「期限切れ赤血球の有効利用」は重要な課題として残ります。他方、家畜由来ヘモグロビンを使う方法も検討されています。ブタやウシのヘモグロビンであれば供給には問題ありません。これらヘモグロビンから調製した人工赤血球も、ヒトヘモグロビンから調製したものと比較して同等に機能することが確認されています。

このように、人工赤血球の開発は一般の医薬品開発には無いいくつかの課題を含んでおり、一企業が単独で達成できる事ではありません。厚生労働省、日本赤十字社、AMED、PMDA、その他関連機関と綿密に協議し、また協力を得ながら、人類の健康福祉の増進の役割を担う、意義のある本研究を進めていきたいと考えています。




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